2度あることは3度ある以上の経験者が言うのもなんですが

今現在、鬱により4度目の休職中です。備忘録と愚痴めいた事を書きますがご容赦願います。

閑話休題〜自己紹介その一

ここで遅ればせながら簡単な私の自己紹介をしたいと思う。自己紹介と言っても、このブログのプロローグ以前のざっくりした事なのだけれども…(汗)


出身地は京都府産まれの大阪府育ち。京都府→神奈川県に幼少の頃に移り、小学校1年生のときに実母を亡くし、父方の祖父母の住んでいる大阪府に引っ越し。なので、所謂祖父母っ子〜特に祖父っ子として育つ。小学校4年の冬に父親が再婚し、引っ越ししたものの祖父塾(祖父は昔、教師から校長先生、教育委員会と教育熱心な人物でもあり毎日勉強会みたいな感じでやっていた。勝手に私が命名(笑))は継続して通学。高校2年生の秋に、祖父母宅(親父実家)を二世帯住宅に変更。バブル絶頂期ともあり、その前より両親が共働きと年齢的に思春期に差し掛かる私と2歳下の弟の面倒を見てもらうため?にそうしたのかな?と今のところ勝手に解釈(汗)


ともあれ、また同じ所に帰ってきて幼馴染とも絡み大学も卒業して、地元の小売販売業〜所謂店員となる。大学は本来行きたかった所があったのだが、バカだったのか落ちてしまい浪人…今で言うところのリベンジをしたも再度失敗。2浪は許さないと言う事で隣の県の大学に進学。大学2年生の時に、継母の従弟(年齢は一緒だが、学年は下。私が早産まれのため)が、私が行きたかった大学に進学のために九州から来る。下宿先は我が家じゃないにしろ、かわいい甥っ子の為だと言わんばかりにご飯を食べにちょくちょく来ていた記憶がある。


余談ながら、昨日たまたま「愛してると言ってくれ」を観ていて主人公とヒロインが大学時代の思い出を話していたが、私の思い出としてはこっぴどく振られた上に従弟を可愛がる継母によりあまりその時期を思い出したくない事もある。そのコンプレックスを抱えたまま、2回目の鬱の原因の1つになったのでは無いかと思える。

きっかけ…かな その二

けど、明くる日早くに起きなければいけないので、テレビのある娯楽室には行かずにそのまま2等客船の私の部屋に戻った…


意外と朝早く起きれたのは不思議だった。


当時の彼女のモーニングコール無しで起きれた。逆に彼女がビックリしたぐらいだったのを覚えている。


車に乗る。ナビゲーションが付いていない代わりに親父からもらった四国の地図。松山に転勤が決まると祝い金と一緒にもらった。せめて、愛媛県の地図が欲しかったが、なぜか漠然とした地図のみだった。


当時の車はCD搭載が当たり前でなく、オプションにMDを付けてもらっていたが壊れてしまいラジオのみ。MBSにヘルツを併せっぱなしだったのでどこやら韓国のハングルが聞こえる。ぱっと地図を見たつもりだが、クラクションを鳴らされた。


こうして、私の愛媛県松山市の一日が始まった。

きっかけ…かな

2003年と言えば既にもう過去の話になるかもしれない。関西、特に大阪や兵庫の人にとっては非常に印象深い年だと思う。

そう、阪神タイガースが実に18年ぶりの優勝を決めた年である。そんな酔いしれた大阪から日本シリーズを転勤で全く新しい愛媛県に向かうフェリーの中で誰が見ることになるとは本人ですら気づかなかったと思う。

歓声がよりひどくなった。どうやら阪神タイガースが勝利したようだ。